2007年12月01日
ツァーリ・ボンバの真実
ツァーリ・ボンバの実験の意味を考えました。
ソビエト首相ニキータ・フルシチョフは1961年7月10日、第22回ソビエト連邦共産党大会開催中の10月下旬にこの爆発実験を行うよう指示を出した。その時点で実施日まで15週しかなかったが、実験に用いるRDS-220はすでに完成していた。
この当時、世界情勢は極めて緊迫した状態にあった。1961年8月のベルリンの壁建設開始、数ヶ月前に発表されたソ連による核実験のモラトリアム中止、後のキューバ危機に結びつくキューバへの核配備計画実施などのためである。そのような状況下での実験は、世界中を震撼させた。
設計
ツァーリ・ボンバは本来、核分裂-核融合-核分裂という三段階の反応により100メガトンの威力を実現する多段階水爆(Staged Radiation Implosion Bomb)である。しかし、100メガトン級の爆発ともなればソ連領内の人口密集地へ多量の放射性降下物(死の灰)が降ってくることが予想されたため、実験にあたっては第三段階のウラン238の核分裂を抑えるよう構造に変更が加えられ、出力は50メガトンに抑制された。この結果、放出する放射性物質の量はその出力の割にはかなり小規模なものとなった。
設計はソ連の核開発秘密都市アルザマス16でソ連科学アカデミーのユーリ・ハリトンを中心とし、後に「ソ連水爆の父」とも呼ばれるアンドレイ・サハロフ、ヴィクトル・アダムスキー、ユーリ・ババエフ、ユーリ・スミノフ、ユーリ・トゥルトネフなどのメンバーが参加した。サハロフはツァーリ・ボンバの爆発実験の後、核兵器反対を唱えるようになったという。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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